ヒマラヤ山脈に点在するお伽の国、最後のフロンティア、ブータン。

Photo by Lincoln potter

るか世界の屋根といわれるヒマラヤの険しい山々のなかに、人々が穏やかに暮らす村が点在する美しい国ブータン。
彼らが自ら呼ぶ龍雷の王国という別名が示すように、そのヒマラヤの厳しい地理条件が隔壁となって、外部の進入を拒んできました。そして長い間、はるかに強大な近隣諸国の植民の手から人々の自由な暮らしが守られてきたのです。 20世紀に入り世界中のほとんどの国々が、たがいに経済や政治を複雑に絡み合わせ、存続させていったのに対し、ブータンが今もなお独立独歩で国を営んでいることは、彼らが最も誇りとしていることのひとつです。

1971年、ブータンは国連のメンバーになるため、長い間伝統的に守り続けてきた鎖国政策を変え、一時的に国を開きました。そのころ、政府は決して多くを望まず、鎖国を解くことと引き替えに新しい教育と制限付きでの来訪者を望んでいました。
当時、ブータンへの入国は陸路しかなく、ツーリストがこの国を訪れるためには、カルカッタまたはダージリンからパロまでバスを利用しなければなりませんでした。 十年後の1982年、パロに待ちに待った滑走路が完成し、国営の航空会社「デュルックエアー」が誕生。海外からブータンへの本格的な旅行ができるようになりました。

1994年には3,900人のが訪れました。が、政府はその独立の精神を維持するために、その後も王国への訪問者の数を制限することにしました。それは同時に人々が今までどおりの純粋な暮らしを続けることを願っていたからです。

ータンでは、東と西、また南と北では、土地柄にも人々にも随分大きな違いがあります。南部区域のインドとの国境近くは低地で、ずっと北のチベット国境に近づくにしたがい、ヒマラヤの高地になります。

ータンの人々は、上品でやさしく親切です。そして 隣人に対して、自己中心的にならないことを重んじます。 人々は皆、敬けんな仏教徒(チベット仏教)であり、代々暮らしは仏教を中心に営まれ、その教えに従って日々暮らしています。

国とその人々は訪れたツーリストにさまざまな魅力を投げかけます。そして魅せられた人々は、再びこの国を訪れることでしょう。