ワイヤード・ラブ
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雨が降り続いている。この雨は、もう、二週間も降り続いている。大粒の雨になったり小降りになったりしながらも、一度も降りやむことなく降り続いている。なぜこんなに雨が降り続いているのかはよく分からない。気象台もそれは分からないと言っていた。

ところで、僕はつい最近誕生日を迎えた。二十歳になった。
二十歳になったのだが、二十歳になったという実感も感動もない。かったるいという思いだけがある。
目を閉じると眼底の辺りが痺れている感じがしていて、この感じが後どれくらい続くのだろうかとか、指先の、特に右の中指の指先の軽い痛みがひどくならなければいいとか、左上の奥歯の周りの歯茎が少し腫れていて、この腫れはちょうど雨が降り始めた頃から始まったとか、両足の小指の横に出来かけている魚の目が時々靴と擦れて、その成長を知らせてくることとかはとてもよく実感出来る。
特に毎日沢山歩くというわけでもないのだが、何故か、いつの間にか魚の目が出来ていて、それがいつ出来始めたのか、その兆候がいつからあったのかは全く思い出せない。

今日も雨は降っていて、最初に降り始めた時に、乾いた窓硝子に降りかかる時の様や、窓硝子全部が濡れてしまって、一定の水の流れが出来てくるのを眺めながら、シャワーの水がバスルームの壁に当たる様と良く似ていると思ったりした。

きっと今日もここに座ったまま一日が終わっていくのを見ることになるだろうと思う。誰かから連絡があって、とても興味のあることがあったらどうなるかは分からないけれども、今までそんなことはなかったし、今日もあるような予感はしない。もっとも、今までに予感と呼べるようなものを感じたことはなかったし、これかな、と思えるような経験もない。

感動ということが、人間の喜怒哀楽のことだとすれば、僕にはそれが欠如しているのかもしれないと最近思うようになった。最近というのは、昨日のことだ。昨日が特にそれを思いつくのに適した日だったのかどうかは分からない。
でも、そう思ったのだ。昨日が特別にバッドだったとは思えない。いつもと同じように眼底の辺りが痺れていたし、右手の中指の先は骨からズキズキしていたし、左上の奥歯の周りは腫れていたし、魚の目は成長の信号を送っていた。

>明日は僕の誕生日で〜す!

と言った時から、僕たちの関係に決定的な変化が起きた。
僕たちは、誰かの誕生日がいつなのかとか、幾つになるのかとかに関心もなくやってきたのだ。自分の都合のいいときに都合のいい相手と自分勝手な話をする。そんな当たり障りのない話を続けるには、それなりの根性がいるのだ。相手に見破られないようにしなければならないし、自分が演じるキャラになりきるには、それなりの研究もしなければならないし、知識だって必要なのだ。

でも、時々、いつの間にかキャラを取り違えてしまったりするので気をつけなければいけない。
というのは、僕は四つのキャラを持っていて、気分によって相手によって使い分けて楽しんでいるのだ。
このキャラだったらこんなことを言うだろうとか、こんなふうな思考回路をたどるはずだとか、想像しながら話を進めていく。でも、同じようなことをしている連中は他にもいるようで、とんでもないところで出会ったりして、そのキャラで通そうとしてもバレてしまうことがある。なぜバレてしまうのかといえば、違うキャラを演じていても、決まり文句みたいなものがあって、アレッ、と思う時があるのだが、こんなときにブラフの質問をされたりしてしまってバレてしまうわけだ。

僕も時々知り合いを探しにいくのだけれど、同じように僕を探している相手もいたりするとなかなか巡り合えないこともある。 振り返ったらあるのに、いつまでも自分の勘だけで探し物をしている時のように、捜し出すのにわざと時間を必要以上に費やしている時のように、論理的な思考を拒否していることに快感を覚える時のように、そのことを楽しむこともある。でも、何も成し遂げようとは思わないし、何かを成し遂げることに意味を感じてもいないのだ。

僕は生まれてきてから論理的に生きてきたとは思わないし、論理的に生きることに意味を感じたこともなかった。何もかもうまくいっていたわけでもないし、何もかもうまくいかなかったわけでもない、と思っている。

僕が嫌いな言葉は「努力」という言葉で、温泉地なんかに行くと、なぜか太い墨文字で書かれたこの二文字が額に入っていたりなんかするのを見ると、燃してしまいたくなってくるほどだ。だから、努力したことはなかったと思う。好きなことがあれば、努力も惜しくはないはずだ、とよく言われるのだが、好きなことがないのだから仕方ない。

とにかくその日、僕は

>明日は僕の誕生日で〜す!

というメッセージを送りたくなったのだ。理由は分からないのだけれど、そして本当にその日は僕の二十歳の誕生日の一日前だった。僕のメッセージへの応えは、

>ボクもで〜す!

だった。僕はその時、とっても嬉しかった。というのも、僕は同じ誕生日の友達にそれまで会ったことがなかったからだ。
もっとも僕は友達と一緒に何かをするということがなかったし、友達をつくるということにも熱心ではなかったので、もしかしたら同じ誕生日の友達が近くにいたのかも知れないのだが、今までは知らずにきたのだった。だから、

>ボクもで〜す!

という応えを見た時にはちょっとクラッときた。誰?っと思った。で、いつですか?っと思った。
なぜそう思ったのかは分からないけど、その時にはそう思ったのだ。そして、時計を見た。その時は、もう、午後十一時を過ぎていて、翌日までに一時間もなかったのだ。その残り一時間の間に、僕たちはとても沢山のことを話した。でも、僕たちは友達になることは出来なかった。

>ボクもで〜す!

という言葉は、とてもゆっくり発せられた。
それは、まるで僕が送ったメッセージのこだまみたいに、一拍置いて返ってきた。一時間の会話はとてもゆっくりとしか出来なかった。
相手は一旦よく考えてから返事を返してくるようだった。なぜ相手が、

>ボクもで〜す!

と切り出したのかは二十分後には分かった。僕は僕が、

>明日は僕の誕生日で〜す!

というメッセージをなぜ発したのかも同時に分かった。僕にはその時、僕をアピールする方法がそれしかなかったのだ。でも、相手はよく考えてから >ボクもで〜す! という応えを返してきたのだと思う。

今考えてみると、相手の誕生日は僕と同じだとは思えない。相手ということしか言えないのは、名前が今ではもう分からないからなのだ。突然応えを返してきて、突然消えてしまったのだ。翌日、つまり僕の二十歳の誕生日から消えてしまったのだ。いろんなところを探してみたのだが、どうしても見つからなかった。探していることを掲示板にも出してみたのだが連絡はなかった。そして、今もまだない。