醒めない夢
----- 終章 (3)-----

漁協の職員五人と沢田と岩井は石段の方に向かう。扉が自動的に閉まって、またブーンという音がフェンスから聞こえ始めた。夜はすっかり明けきり、強い片光が男たちの横顔に照りつけ、今日も暖かないい日になるだろうことを予感させた。

漁協に入り、沢田と岩井がソファに腰を下ろすと直ぐにお茶が運ばれてきた。ロングヘアを後ろで一つに三編みにまとめた、背の高い女だった。白い上着に白いスカートに白いエプロンを着けている。女が丁寧に二人に向かってお辞儀をして去っていくと、目の前のモニターにスイッチが入って、さっきまでの二人の釣りを映し出す。

それは、漁協前の石段を下りてきて、フェンスの扉を入る前の右手を握り合うシーンから始まった。ロングとアップを自在に組み合わせた、上手に編集された映像だ。川の音、独り言、木々の音、などが随所にインサートされ自動編集されたビデオはBGMすら流れてくる。とりわけ、岩井が逃がすシーンと沢田が釣り上げるシーンとを対比させながら進んでいく構成は、引き込まれるものがある。もちろん、釣り師は自分が釣っているシーンと魚にしか興味がないのだから、決して難しいドラマツールギーが必要な訳でもないのだが。モニターに見入っている二人に組合長が呆れ顔で声を掛ける。

「いやぁ、本当にお好きですなぁ。見飽きたりしないんですなぁ」

「そりゃそうですよ。釣り師は釣ってる画さえ見てれば満足なんですから。それにしてもよくできた編集ですねぇ」

「ええ、スポーツエディションっていうソフトなんですワ。これ、ゴルフでもテニスでも何でもいけるんですワ。最初にメインターゲット名をインプットしておくんですけど、後でも変えられるんですワ」

「カメラ台数が違いますよね」

「ええ、メインが四台にサブが四台ですワ。光の角度と量を割り出して自動露出で撮影してます。それと別に音録用の集音マイクが二台で、カメラが拾った音と同調するようにセッティングしてあるんですワ」

「これもやっぱり便通ですか」

「ええ、一式便通さんですワ」

「ちょっと画が綺麗過ぎるきらいはありますね、いつも光が当たってるから。もう少し自然な方が・・・」

「おい、君、ちょっと」

組合長が奥のモニターの前に座っていた男に声を掛けると、その男は直ぐに立ち上がって沢田たちの方にやって来た。

「もう少し自然にだ」

「はい、ちょっと待ってください」

男は奥に消えるとモニターの前にあるテーブルの上のスイッチを倒した。画面の粒子が突然荒くなり、16ミリで撮影したフィルムのような映像に変わった。デジタル処理で一瞬の内に大脳が受け入れやすい映像に変わった。

「おお、こっちの方がシズル感、ありますよ」

「そうですか」

「確かに、釣りのシズル感というか、男のロマンというか、ベタッとしない立体的な心象風景としての映像って感じはしますね」

「なるほど、おい、これでいこう」

奥の方で男がうなづくのが見えた。その視界の中を、さっきの女が盆を持って近づいてくる。盆の上には何か乗っている。女がテーブルの上にそれを置いた。アイソタケに似ているが、あのミルキーな香りはしない。色も心なしか黒っぽい。その隣には抹茶だ。

「お茶に合うんですワ、それ。新商品でね。わしらは気に入ってるんですワ」

「アイソタケみたいですけど」

「そうそう、ベースはね。ただし、香りの方で差をつけてみたんですワ。和三盆の味、つまり、京菓子の味わいですな。これは苦労したんですワ」

組合長が喋り終わる前にソファの横に一人の男が立っていた。愛想の足りない、あの学者のような風貌の男だ。

「そのお薄と食べてみてほしいんですが。京都のお菓子屋さんからの注文なんです」

「しかしまあ、手広くやってらっしゃるんですねぇ。こんなものまでねぇ」

「そりゃ、そこがこの愛想村の底力ですワ。ここで考えられないものはありませんワ」

二人は抹茶をすすり、「新商品」を口に入れた。仄かな甘さが抹茶の苦みと香りを引き立てる。完全なるお茶菓子。二人は男に向かってうなづいた。男はホッとした顔で組合長の顔を覗き込んだ。

「いけますか」

「何だか懐かしいような味です。もう名前はつけたんですか」

「ええ、愛想村の夢、ですワ」

沢田と岩井は壁の時計を見た。午前八時少し前。そろそろ迎えにやって来る頃だ。沢田が入口の方を振り向くと、そこにはもう二人の迎えが来ていた。マダムと美緒は入口で立ったままニコニコしながら話を聞いていたようだ。岩井は美緒に手を上げて応えた。

「おや、もうそんな時間ですかな。今日は色々とお尋ねしてしまいましたからな」

「いえ、楽しかったです。毎日毎日違うことがあって飽きませんよここは」

「そう言ってもらうと有り難いですな。車でお送りしましょう」

「いえ、歩いていきますよ」

「そうですか、じゃ、また、夕マヅメに」

沢田と岩井の二人は組合長と漁協の職員全員に挨拶すると漁協を後にした。

岩井は美緒の肩を抱き、沢田はマダムの肩を抱き、四人はゆっくりゆっくりと春の光溢れる川沿いの道を「民宿愛想村」に向かって下っていった。