続・夜のソムリエ
--- 第一話 AOC(一) ---


ロートシルトの会社と帝国ワイン社との合弁でスタートした香港の販売会社の支社長に任じられて以来、早いもので三年が経った。

それは、ロートシルトのワイン「ミチコ・モナムール 」と美知子の実家の吟醸酒である「美知子」を販売することに専念した三年間であった。

努力の甲斐あって、中国本土におけるワインの普 及と日本酒の普及に幾ばくかの貢献を果たしたという自負が生まれるまでになった。

本社から転任してきた大林はじめ営業三課の旧PKOメンバーの若手たちもよく田中をサポートして、慣れない任地での営業活動、中国独特のコネ社 会での気の遠くなるような根回しの実務をこなしてきた。

麻子は店をたたみ、田中のもとで暮らすようになっていた。麻子がそばにいてくれることで、毎日の食事は変化のあるものになり、中華料理ばかりの日 常から救われる思いがした。

麻子の料理は、大林たち社員にも人気があったのみならず、週末には決まって田中の自宅で催される和食パーティは、現地採用した社員たちにとっても、日本酒と和食という日本の食文化に触れることの出来る希有な機会でもあったし、両国の相互理 解に少なからぬ貢献をしたといえるだろう。

こうして、田中は帝国ワイン社の香港支社長としての礎を築くことに成功したのだったが、香港の中国返還後、経済の中心が上海に移ったことを受けて、再び本社から異動を命じられたのだった。

それはサラリーマンとしての宿命のようなもので、帝国ワイン社のような中堅商社の場合、このような転勤はむしろ栄転と称されるべき内容であることに 違いはなかったが、田中の心は穏やかならざるものがあった。

フランス出張に行って戻ってくると同時に香港の支社長に任じられ、そのまま三年という歳月を暮らしてはみたものの、日本から目と鼻の先の距離にも かかわらず、この間、田中は一度も日本の土を踏んではいなかった。

重要なミーティングは香港で行われ、安川専務(フランスから帰国後に昇進)は勿論、松田部長、林田課長を始めロートシルトも社長もこちらでの会議を楽しみに出張してきた。

田中にとっては、確かに日本に戻る必要がなかったといえばそれまでであるが、やはり、島流しになっているかのような気持ちを拭い去ることが出来ずにいたことも確かである。

三年の間に現地の言葉もおぼろげながらではあるが宴会では不自由しない程度に覚え、すでに生活もビジネスもこれからというときではあったが、上海 行きというのに抵抗を感じる気持ちが芽生え始めていたことを感じたのは、麻子の体に変化が現れてきたことと軌を一にする。