夜のソムリエ
--- 第二話 ブルゴーニュ(五) ---

「いやー、気にされることはありませんよ。僕も今回は楽しもう思てますよって」

「そう言ってくれると私も少しは気が休まるよ。しかし、社長は今度は何を考えておられるんだか」

安川の顔が心なしか曇るのを横目に、田中は客たちに愛想を振りまくのに余念がない。持ち前の営業センスは、ぶっつけ本番で開店したパイロットショップのソムリエ役を苦もなくこなしているように見受けられた。

この日は初日ということもあって、喫茶店のマネージャーは二人の女性をつけてくれたのだが、実にテキパキと勝手の分からない田中を助けてよく働いてくれた。 これに加えて、麻子の号令の下、ベルサイユのママたちがよくヘルプしてくれたので、店内にはゴージャスな雰囲気がただよい、昼間の喫茶店と同じ空間とは思えない、さながら北新地の中にある高級なワインバーのようであった。

異様な盛り上がりを見せる店内を見渡しながら、田中は不思議な既視感に襲われていた。以前、こういうことを俺はやっていたような気がする、というその思いの源を探そうとグラスに視線を落とし、そのグラスを握る白い指先を見つめていると、

「一郎ちゃん、よう似合うてるやないのその格好」

カウンターの反対側に座っている麻子が声を掛け、それが今までとは逆になっているだけで、自分は麻子の視点でついさっき店というものを眺めていたのだということに気づいた。

「本当に、今日開店したとは思えないほどじゃないか」

安川までが珍しくお愛想を言う。これは一体何なのだろう。 今までカウンターの向こう側には数えられないほど座ってきたが、カウンターの中から見る店というのはこうも違って見えるものなのか。

妙に冷静に客の顔を見ることが出来るという不思議な作用は、客と自分とを隔てるカウンターという装置が作り出すのだということにそのとき喧騒の中で田中は気づいた。そして、さっきの既視感の正体が一体なんだったのかということにも。

見渡すと、店内は座るべき椅子を手に入れることの出来ない客が立ち飲みを始め、用意した料理もきれいに片付いてしまうほどの盛況を見せ、あっという間に閉店時間の午後十一時を迎えた。 こうして初日が終わり、いよいよ六十五日間に及ぶ短いようで長い田中のソムリエ生活がスタートしたのだった。