翌日、店は前日の喧燥とは打って変わって静かなスタートを迎えた。 喫茶店の従業員が帰っていき、準備万端整えて意気込み新たに望んだ田中だったが、二日目にしてその現実に直面することになった。
午後七時を回っても、階段を降りてくる客の姿はなく、ぽつんと取り残されたように二人だけになると店内の静けさが際立って、ブルゴーニュワインを置くということで、フランスの雰囲気を演出すべく選曲したシャンソンの音がむなしく響いているだけだった。
「座っとってもええで」
「いえ、大丈夫です」
入り口に向かって立っている仁美ちゃんに声を掛ける。
昨夜手伝ってくれた二人とともに三人で入れ替わりで来てくれるように喫茶店のマネージャーがローテーションを組んでくれたのだ。仁美ちゃんは、今夜が初めての出勤になる。 そのせいか幾分緊張の面持ちで、田中の方を見やることなくいささか落ち着かない風情である。
田中は田中で音楽に耳を傾けながらも、仁美ちゃんの素振りを盗み見ては話し掛けるタイミングをはかっていた。 客が入ってくればすぐに解消してしまうのだが、しかし一種気まずさに似た雰囲気というものが、客の入る前の店内にはあるのだということに田中はそのとき気づいたのだが、まだ田中にはそれを解消する方法が分かっていなかった。
「仁美ちゃんは昼はどないしてるんや?」
「えっ?」
「学生やったんやったかなー」
「はい、大学生です」
「女子大かいな」
「いえ、音大です」
「へー、音楽やってるんか。楽器は?」
「いえ、声楽です」
「はー、歌かいな。ほな、シャンソンなんか歌えるんやろな」
「いえ、クラシックですから」
「はー」
何とも取りつく島もない仁美ちゃんの返答に次の質問を捜しながら、何とも間抜けな言葉で会話の終わりをしめくくることになってしまった。
「リラックスしていこな」 緊張をほぐすつもりで言ったことなのだが、仁美ちゃんは完全に田中に背中を見せて、入り口の方に顔を向けて佇んだまま身じろぎもしないのだった。
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