時間ばかりが過ぎて行き、その時間をやり過ごすのを耐えるという経験を全くといっていいほどしたことがなかった田中にとって、客のいない店というのがこれほどの苦痛になるとは思ってもみないことだった。
時計は九時を回わり、やがて十時に差し掛かろうとしている。
「仁美ちゃん、もう、帰るか?」
「駄目ですよ、時間までちゃんと開けとかなきゃ!」
余りの手持ちぶさたにふと口をついて出た言葉だったが、学生の仁美にさとされるありさまで、田中はそわそわと落ち着かない。有線で流れているシャンソンが宝塚歌劇のテーマソング、「菫の花咲く頃」をフランス語で流し始めた。
と、入り口のドアが開き、それに合わせて歌いながら入ってきたのは、長身で細身、髪を肩まで垂らした日本人形のような顔付きのワンピースの女性と、同じく長身だが茶髪のショートヘアにパンツルックのボーイッシュな女性の二人連れだった。
「い、いらっしゃいませ」
「今晩は。わたしたちのテーマソングじゃない、これ」
「へ?」
「えー!お二人とも宝塚なんですかー!」
田中の間の抜けた対応を打ち消すように仁美ちゃんがフォローに入る。
「いえ、現役じゃないんですけど、二人ともOGなの」
髪の長い方が仁美に答える。
「すっごーい!わたし、憧れなんです、宝塚って!」
「どちらに座らせていただいたらいいのかしら?」
髪の短い方が催促する口調で田中に問い掛ける。
「あっ、すみません、お好きなところへどうぞ」
田中が慌てて目の前のカウンターを指しながら答えると、二人は田中の正面に並んで腰を掛けた。二人ともじっと田中から視線を外そうとしない。そうしておいて、
「ワイン、いただけるかしら」
二人同時にキラキラと瞳を輝かせて田中の目を見つめて注文する。二人の声は見事にハーモニーを奏で、田中は、その声に一瞬唖然として見つめ返した。
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