>ボクの母の手が紫色になっています
キーを叩くと、指に刺さっていた蛍光灯の破片がチクチクして、チクチクした辺りから血が丸い小さな点になって吹き出してきた。ボクはキーボードを血で汚さないようにチクチクしない指で打たなければと思った。
キーボードはボクがキーを打つ度にギシギシと音を立てた。ボクは両手でキーボードを持ち上げてひっくり返し、間に詰まっていた細かい砂や土を机の上にぶちまけた。ぶちまけて机の上から払おうと思ったがやめにした。
また蛍光灯の破片が刺さるのが嫌だったからだ。
>どうしたの?大丈夫?
そう、ディスプレイに表示された。
ハンドルネームは、<彼>だ。<彼>がキーボードの前に座っている。
ボクは、とっても感動した。ボクはキーボードを引き寄せた。
ボクは話さなければと思った。指がチクチクすることなんかどうでもいいと思った。それでなくともボクはキーボードを叩くのがとっても遅くって、痛くない指だけでやっていたのではとても話なんか出来ないと思ったからだ。
>地震があったみたい
>分かってる。ケガはないの?
>だいじょうぶみたい
>何処なのそこは。電話番号、教えて
>でんわはとどかない。とじこめられてる
>住所は?お母さんは?誰か近くにいるの?
>母がにかいの下じきになってる
>電話番号と住所教えて!
ボクは、会いたくないと思った。
ボクは、<彼>に会いたくない。
現実のボクを知られたくない。
>みずがほしい
>水、すぐに持っていくから
すぐに応えが返ってくる。でも、来てほしくなんかない。水だけがほしい。
>みずがのみたい
>すぐに送るから住所教えて
住所は教えたくない。ここに<彼>がやって来るから。
>たべものがほしい
>すぐに持っていくから、名前教えて!
名前は言いたくない。だって、ボクが誰だか分かってしまうから。
>きみのなまえ、おしえて
>僕の名前なんかどうでもいい!
>ボクはだいじょうぶ。たすかるとおもう
>なぜ、そんなことを言うの?
>あいたくない
>僕は君に会いたい!
と打って、僕はビックリした。マジに。
どうしてこんなことが言えるんだろう、と思った。どこにいるのか誰なのかも分からない相手に向かって、会いたい!なんてどうかしている。
でも、奴の方がどうかしている。こんな緊急事態にあって、電話番号も住所も名前も言おうとしないなんて。会いたくないとはどういうことなんだ。何もそんな意味で言ったわけじゃない。
水だって食べ物だって送るにしても、持っていくにしても必要な事柄なんだ。
どうやら、家は潰れてしまっているようだ。母親は動けないようだ。父親はいないのだろうか。仕事に行っているのだろうか。全く分からない。何も分からない。
テレビに映し出された映像は、映画の一シーンか、よその国の出来事のように見える。ヘリコプターからの映像は、何も伝えてこない。
火事が燃え広がっている。高速道路が横倒しになっている。
新幹線の高架が落下している。それだけのことだ。
それだけしか伝えてこない。
そこにいる人々の姿がない。そこに暮らしている人々はどうなってしまったのかが何も伝わってこない。行かなければ、と突然僕は思った。
そう思って、僕は自分自身をちょっと見直した。
そして、そんなことを思うのはなぜだろう、と思った。
奴とは、昨日から今朝にかけて初めて話をした。そして、なぜかデイトした。それだけのことなのに。
だが、それだけのことなのに僕は奴のことを知っている。
少なくとも、奴の好物は。
ニンジンジュースとメロンの寒天寄せとヨーグルトが奴の好物なのだ。僕は奴の好物に興味を持っているのだ。きっとそうだ。こんなものが好物の奴なんて、そうそういるもんじゃない。
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