妻は、一ヵ月経っても帰って来なかった。
俺は余り気にしなかった。一ヵ月というのはあくまでも予定にすぎないし、どうせオープンチケットを買っているはずだから、飛行機に乗り遅れるという心配もない。
ただ、一年以内には帰ってくることが分かっていても、それがいつなのか知りたかっただけなのだ。一人暮らしも慣れてくると不自由を感じなくなるもののようだった。俺にはクアトロという車があったし、素敵な女も見つかったところだったのだ。
いつものように夜中の二時を回ってから家にたどり着くと、電話が鳴っていた。
「はいはい、僕ですよ。今、家に着いたとこでーす」
「どこに行ってたのよ」
押し殺した声は妻だった。俺も声の調子を切り換えて、言った。
「やぁ、戻ったのか。遅かったじゃないか。今どこにいるんだ」
「まだオーストラリアなの。今、そっちは夜中の三時前でしょ。遅かったのね」
「ああ、ちょっとまた編集で遅くなったんだ」
「嘘」
「嘘ってどういう意味だ」
「そこに誰かいるんでしょ」
「誰もいるわけないだろ」
「いつも遅いの、知ってるのよ。子供に会いにも行ってないようだし」
「すまん、あれからずっと忙しかったんだ」
「お酒を飲むのにでしょ」
「で、どうだったんだ、モデルクラブの方は」
「もちろんバッチリ全部が協力的。一番いい子を送ってくれることになってるの」
「そうか、そりゃ凄いじゃないか」
「当然よ、そんなこと」
「で、いつ戻るんだ」
「気になる?もう少し考えたいことがあるから、そのうちね」
電話は切れた。俺は、明日は子供の顔でも見に行ってみるかと、ふと思った。確かに割烹通いを始めてからは、電話の一本もしていない。しかしそれはお互いさまで、実家からは何の連絡もなかったし、妻からの連絡にしても一ヵ月振りのことなのだ。
シャワーを浴びながら、俺はさっきの妻からの電話のことを少し考え、すぐに割烹の女のことを考えた。翌日はドライブに連れて行く約束をしていたからだ。女とは、まだ他愛のないことがとても楽しい時期にあったのだ。
妻からの電話があってから三日目、俺はとんでもないことが起こっていることに気づいた。社員たちの給料を払うために銀行に行ったのだが、預金が全部引き出されていた。誰がやったのかは自明のことだった。それにしても、たった一ヵ月の旅行に遣う金にしては金額が大きすぎた。そして、俺はしばらく通帳を眺めていて気づいた。その金額と俺が車を買うために遣った金額とが偶然にもピッタリ同じだということに。
俺は頭を巡らせた。それが単なる偶然なのかどうか。
しかし、もし偶然ではないとするならば、妻はその金額を知っていたことになる。妻は海外にいる。しかし、カードで引き出せば残高は分かる。それでピッタリと金額を一致させたのだろうか。それならば、何に遣ったのかをあのとき電話で聞けばすむ話だ。何もそんなことは言いもせずに電話を切ってしまったのは何故か。妻の方にこそ男がいるのではないか。もし、ファーストクラスの飛行機に乗り、三つ星レストランで毎晩食事をして、各国でショッピングをしたとしてもまだお釣りがくる。
そんな高価なものといえば、と考えて、俺はたった一つ思い当たるものがあった。
妊娠したと分かったときから妻が止めてしまったもの。
また、それを始めたに違いない。それしか考えられなかった。
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